江戸から明治にかけての東京の都市空間において、上野の山ほど時代の変革にさらされた場所は他にないでしょう。
将軍家菩提寺の一つであった寛永寺の伽藍や子院が立ち並ぶ上野の山と、その麓に広がる不忍池は、信仰の場であると同時に、江戸の人々の憩いの場でもありました。大きな転機となった幕末の戊辰戦争では、寛永寺境内は彰義隊と官軍との戦場となり、本堂をはじめとした建物が焼失し、敷地の多くは明治新政府の管理下となりました。
明治6年(1873)、上野の山は、浅草や飛鳥山、深川、芝とともに日本初の公園として指定されます。しかし、他の公園と異なり政府管轄下の上野は、政府による祭典を催す場としての役割も担いました。
公園内では敷地整備と並行して、東京の西洋料理店を代表する「精養軒(上野精養軒)」や、江戸時代からの名料亭「八百善」が店を構え、明治9年(1876)5月9日には明治天皇臨席のもと開園式が執り行われました。
その後上野公園では、海外要人の歓迎式典や各種博覧会の開催のほか、明治14年(1881)には園内でガス燈が灯り、明治15年(1882)には博物館・動物園が開園し、知識や文化に触れる空間ともなりました。
また、明治12年(1879)に復興した寛永寺やその子院、被害を免れた上野東照宮などは、公園となった後も参拝する人々を集めました。
一方、明治以降も変わらないものとしては、上野の山の桜と不忍池の水辺が挙げられます。季節に合わせて人々が行楽のために訪れ、その賑わいは現在でも感じることができます。
今回の展示会では、明治9年(1876)の開園式から150年を迎えたことを機して、明治時代の上野公園を、以下の三つの側面から錦絵や当時の写真などを用いてご紹介いたします。
・「祈りの空間」: 上野東照宮、清水観音堂、寛永寺徳川家御霊廟など
・「学びの空間」: 内国勧業博覧会、博物館、動物園など
・「行楽の空間」: 上野の桜、不忍池の水辺など
また、上野公園開園当初から営業され、開園式典のレセプション会場にもなった上野精養軒様よりご提供いただきました貴重な資料もあわせてご紹介します。
add: 2026-06-11 / mod: 2026-06-20